住職あいさつ

この度は、圓覚寺のホームページをご覧いただき、ありがとうございます。
近年、伝統的な日本の文化・習慣が音を立てて崩れているように見えます。また、仏教についても核家族化や地域社会の変容によって過去を踏襲したら良いという時代ではなくなってきています。

お寺の周辺に住まわれるお檀家の方は、日常的にお寺に来ていただく機会もありますが、遠方のお檀家の方、またお寺に関心を持って頂いている方とお寺とのアクセスの方法としてホームページはどうしても必要な時代となりました。少しでも仏教に関心を持っていただき、疑問にもお答えが出来るツールとして利用して頂ければ幸いです。

曹洞宗 圓覚寺

圓覚寺 沿革

■地名の「土師」は「はぜ」と読みます。古代より土器を作ることを業とする土師部から来ているとの事で、古くからこの地に住んでいた一族の名前に由来していると思われます。福知山城内に入る最後の要所でもあり、城域に入る為の由良川の渡しの仕事も重要で、宿場にもなっていました。

■記録によれば、それまで観音寺の勢力下で真言宗であったものが、1608年(慶長13年)堂宇が火災によって焼失した事をきっかけに、当時の新興勢力であった曹洞宗に改宗し開創されました。

圓覚寺 沿革

■開創以来400年、火災により三度の再建を経て、現在の本堂は1844年(天保15年)に建てられたもので、京都府の暫定登録文化財として登録されております。また、旧福知山城主朽木公墓所として罤7代朽木鋪綱公、第12代綱張公、13代為綱公夫人をお祀りしています。

■なお寺名の由来は、文殊は妙智恵の菩薩なれば、山号を妙智山とし、衆生をして智慧圓覚の道場に入らしめんが為寺号を圓覚寺としたという寺歴に由来しています。

圓覚寺 沿革

お寺の宝物

秘仏文殊菩薩尊像

縁起に依れば、此の文殊菩薩は丹後切戸(天橋立)の文殊菩薩と同じ仏師、即ち天竺の毘須羯摩の作と伝えられ、古来よりこの土地に安置せられていた。

当寺開山の折、文殊は妙智慧の菩薩ゆえ山号を妙智山と名付け衆生を円覚の道に入らしめる為、寺号を円覚寺としたとのこと。秘仏にして江戸時代には賑やかに御開扉が行われていたが、近年はお堂の老朽化で閉扉し、平成二十年開創四百年の記念事業で文殊堂改築の折、御開扉された。以後十七年毎に開帳される。

円覚寺ゆかりの地蔵堂

土師新町のお地蔵さん

地蔵堂建立 年月日不詳
再建 享保元年(1718年)
修復 文政(1825年)

地蔵堂建立縁起

天田群志によれば、此の本尊はもと因州の僧が丹波の老の坂にある子安地蔵の分霊体を請い受け此処にて休息し、さて立とうとしたところ地蔵尊の目方が急に重くなり、動かすことができなくなり、そのまますて置いたので、円覚寺より話があり、檀家と相談して一宇を建立したと伝えられ、文化四年(1807)天田群大師様札所八八個所の内八三番札所に指定されている。
地蔵堂は、間口三間、奥行二間余りで堂内奥の段に仏像十数体が祀られており、頼みごと一つだけかなえられるなどのご利益があるという。

圓覚寺は福知山城主の 墓所でもあります

全国の藩主の墓所は元々江戸の泉岳寺にありました。

しかしながら、廃藩置県を経て社会の大変革の中、福知山城主朽木公の墓所は、現在、土師円覚寺にあるのみです。

現在三基の彌柱が祀られております。

福知山城主の 墓所

圓覚寺の歴史

(年不詳) 文殊堂・地蔵堂建立
1608 (慶長13年) 圓覚寺開創
1722 (享保7年) 本堂再建
1777(安永6年) 釣鐘鋳造
1787 (天明7年) 第7代藩主鋪綱公墓所となる
1867 (慶応3年) 第12代藩主綱張公墓所となる
1870(明治3年) 第13代藩主為綱公夫人恒子公墓所となる
1949 (昭和24年) 梵鐘再鋳造・鐘納式
1988 (昭和63年) 十七世成田大航師晋山及び大授戒会(梅田信隆猊下御親修)
2008 (平成20年) 圓覚寺開創400年記念法要
文殊堂改築・土師観音造立等

歴代住持年表

開山 大超智仙大和尚 宝永6年/1756寂
開基 風山薫 承応2年/1653寂
法地開闢三世 一山金毛 文化6年/1809~文政9年/1826
四世 一箭透関 文政10年/1827寂
五世 百堂一丈 天保8年/1837寂
六世 牧禅洞牛 文久3年/1863寂
七世 霊雲金峰 明治7年/1874寂
八世 大珍良音 元冶2年/1865寂
九世 石應環中 明治7年/1874寂
十世 佛環鈍瑞 明治35年/1902寂
十一世 天介霊祐 明治38年/1905寂
十二世 石瑞一鼎 明治40年/1907寂
十三世 機外哲禪 昭和9年/1934寂
十四世 圓明覺應 昭和29/1954寂
十五世 圓諦覺章 昭和59年/1984寂

円覚寺史略年表

円覚寺史略年表はこちらのPDFファイルをご確認ください。

円覚寺史略年表

年中行事

1月1日 修生会(しゅしょうえ)

正月の初め、お寺では社会の平和と人々の幸福を祈って、法会(ほうえ)を修します。これを修正会といいます。私たちも無事新年を迎えられたことをご本尊さまに感謝し、この一年すこやかに過ごせるよう、元日には一家そろって菩提寺(ぼだいじ)へ初詣りをいたしましょう。

2月15日 涅槃会

2月15日は、お釈迦様がお亡くなりになった日にちで「涅槃会」といいます。お釈迦さまのご命日である涅槃会の日には、釈迦さまの最期の様子を描いた「涅槃図」をかけて、そのご遺徳をしのぶ法要を行います。

2月15日 涅槃会

3月 春の彼岸会

春分の日をお中日としてその前後3日間の計7日間を春の節とし、一般的には「お彼岸」として親しまれている行事です。

3月 春の彼岸会

4月 護持会総会

護持会とは檀家を中心とした圓覚寺を護る会です。
護持会が集まり様々な取り決めや発表などを行います。

4月29日 花まつり

地域のお祭りでお稚児さんや地域の子供たちでにぎわいます。
落語や餅まきなど様々なアトラクションを楽しんでいただけます。

年中行事

5月8日 花まつり

お釈迦さまのご生誕をお祝いする行事です。旧暦の4月8日に生まれたという伝承に基づき、全国の寺院で行われます。
圓覚寺では毎年5月8日。地域の子供たちで毎年にぎわいます。

5月8日 花まつり

7月 境内清掃

檀家さんたちが集まり境内の大掃除を行います。

8月1日 土師観音 盆供養

土師観音の供養を行います。また夜には施餓鬼といった飢え苦しむ生類や弔う者のない死者の霊に、飲食物を供えて経を読む供養を行います。

8月1日 土師観音 盆供養

8月9日~14日まで 棚経

棚経とは、お盆の期間中にご先祖様を迎え入れる棚を設け、お飾りやお供え物を置きそこでお坊さんがお経をあげることをいいます。
この先祖を向かいれるための棚のことを精霊棚または盆棚といい、棚経とは精霊棚・盆棚の前で読経することから棚経と呼ばれます。
棚経を行う意味としては、棚経を行う際にはお坊さんがお経を読み親族がその場に居合わせることでともにご先祖さまへの祈りや感謝を伝える意味があるとされています。

8月第1日曜  土師墓苑一斉清掃

永代供養のために各檀家の代表者が集まり、墓掃除を行います

圓覚寺

8月8日 大施食会

大施食会とはその年に亡くなった方の初盆供養を行う法要です。
圓覚寺での年中行事で一番大きな行事となります。

8月8日 大施食会

8月8日 地蔵盆

地蔵盆とは子供のためのお祭りであり、子供の健やかな成長を願ってお地蔵様を供養する行事のことを言います。地蔵堂にて法要やお供え物をします。

9月 秋の彼岸会

秋の彼岸会では法要の他、演奏会など様々な秋を感じるアトラクションなど楽しんでいただけます。

9月 秋の彼岸会

10月 仏教振興会 研修旅行

仏教振興会での研修旅行で各地の寺院に参拝します。

10月 仏教振興会 研修旅行

11月 慰霊祭

11月の慰霊祭では戦没者の法要を行います。

11月 慰霊祭

12月 成道会

お釈迦さまがお悟りを開かれた事をお祝いする「成道会」の日です。お釈迦様は、29歳で出家し、6年間の苦行の末、菩提樹の下で悪魔からの誘惑に負けずに坐禅修行を行い、12月8日に暁の明星をご覧になり、悟りを開いて仏陀となったとされています。つまり、12月8日は仏教の教えが生まれた大切な日なのです。

12月31日 除夜の鐘

「除夜」という言葉に見える、「除」という字は、「掃除」などにも使われるように、「お清めをする」という意味があります。つまり、翌日の節分を前に、お清めをする夜ということで「除夜」といいました。この日に鐘を108回撞く意味については諸説あるようですが、一番良く知られているのが、108という数が人の煩悩の数であり、これを消除するためであるとされています。他にも、1年の12ヶ月+24節気+72候を合わせて108とする説や、四苦八苦を4×9+8×9=108として数える説もあるようです。

12月31日 除夜の鐘

圓覚寺ギャラリー

圓覚寺
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寺院概要

寺院名 曹洞宗 圓覚寺
宗派 曹洞宗
住所 〒620-0857
京都府福知山市土師町1777
TEL 0773-27-4447
アクセス 〇鉄道
JR山陰線・福知山線・福知山駅バス10分

〇車
舞鶴若狭自動車道・福知山インターから7分
※お車でお越しの際は専用駐車場をご利用ください。
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